自己紹介と愛車遍歴:5

さて、1ヶ月に2度も事故ってしまったつよT、流石に親と先輩にバイクを止められます。先輩からは「一生バイクに乗るなとは言わない、でもせめて1年は乗るな」と言われます。しばらくは大人しくするか、と半年間は定期券を買って電車で大学に通いました・・・が、半年経って我慢ができなくなります。まずは近所のウチに置いてあったDAXホンダ。


この花柄シートのやつ。これをもらった。しかしこいつがキャブが悪いのか何なのか?走行中に止まるんだ。一度キャブをバラしたのにやっぱりダメ。学校帰りの国道16号、横田基地を通り過ぎて箱根ヶ崎駅近辺でまさかのエンジンストップ。どうやってもかからない。携帯電話もなかった当時、その夜に用事があった俺は近くの公衆電話で連絡「バイクが壊れて今日行けません・・・」そしてその後どうしたかというと「よし、押して帰ろう」

たぶん、その時は『バリバリ伝説』で巨摩郡が奥多摩からCB750Fを押して帰った事が頭によぎったのだろう。今思うと馬鹿だなぁとは思うけど、その時は厨二病よろしく「そんな俺がかっこいい」と思っていたのだろう。しばらく押して23時ころだったか。4,5時間くらい押し歩きした後、隣町まで来たところでダメ元でキックしてみると「ポロロロロ」とエンジンがかかるではないか。その時思った「こいつとは付き合いきれない」。

次のターゲットは当時脳梗塞で倒れていた親父のホンダ・スーパーカブ。前のカブから最近新車に買い換えていて、倒れてからというもののカブは置き去りにしてあったのだ。それを拝借。1991年当時はカブは100%仕事かお年寄りが乗るものとして認識されていて若い人がオシャレに、ベスパ的に乗る乗り物ではなかった。そんな中20歳そこそこの男子学生がブイブイと通学で使うようになったのだ。みんなから馬鹿にされた(笑)。「つよTどうしちゃったんだよ?」と。俺は答えた「これは本田宗一郎の魂だぜ」。


そんな日々がしばらく続いたある時、KRで事故った時の保険金がおりました。「これで、バイクを買うしかない!」・・・まぁ、病気ですね。

モトグッチV7Ⅲ Stoneとの日々

1970年生まれのおっさんライダーが初の二輪外車で感じたことを綴る。

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